旧約聖書写本挿絵---預言書写本と八大書写本を中心に

瀧口美香


I 預言書写本の挿絵について
 ビザンティン帝国では、新約・旧約聖書全文を一巻に収める、今日わたしたちが日常手に取る書物としての聖書は必ずしも一般的なものではなく、新約聖書、あるいは旧約聖書の一部分を、独立した一巻の書物におさめる写本が数多く制作された。たとえば、旧約聖書の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を一巻に収めたものは、五大書(ペンタテウク)写本と呼ばれる。また、五大書に続く三書(ヨシュア記、士師記、ルツ記)を加えて、合計八つの書物を一巻に収めた写本は、八大書(オクタテウク)写本として知られている。本発表でとりあげるビザンティン預言書写本もまた、旧約聖書の一部分(預言書)を、一巻の写本に収めた写本ジャンルである。旧約聖書の預言書には、十二の小預言書(ホセア、ヨエル、アモス、オバディア、ヨナ、ミカ、ナウム、ハバクク、ゼファニア、ハガイ、ゼカリア、マラキ)と、四つの大預言書(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル)が含まれている。

 十五世紀までに制作されたビザンティン預言書写本は、五十冊程度現存している。そのうち七写本が挿絵を有しており、本発表ではそれら七つの預言書写本に付された挿絵をとりあげて論じた。預言書写本に付された挿絵の大半は、預言者の肖像であった。肖像の種類(全身像または半身像)や、背景(金箔、青、山岳風景)など、多少のバリエーションは見られるものの、各預言書を書き記した著者の姿を描いている、という基本的な点において共通する。一見平凡で単調に見える預言者の肖像は、研究者の関心をひくテーマであるとは言いがたく、詳細に論じられることもなかった。本発表では、各々の預言書写本挿絵の独自性に注目することによって、特殊な図像を解釈することを試みた。金箔や青の背景、山岳風景、預言者の生涯を描く説話場面は、いずれも、預言者の本質を端的に表象しようとしているように思われる。


II 八大書写本の挿絵について
 旧約聖書の最初の八書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、ルツ記)を一巻に収めたものを、八大書(オクタテウク)と呼ぶ。ビザンティン帝国で八大書写本が複数制作されたのに対して、西ヨーロッパのラテン・カトリック文化圏では、八大書写本が制作、利用された痕跡を見いだすことができない。ビザンティン帝国で制作された挿絵入り八大書写本のうち、六点の存在が知られている(一点は、二十世紀に焼失)。

 本発表では、第一に、挿絵入り八大書写本各本の概要を紹介した。第二に、文献学の本文批評の手法をビザンティン写本挿絵研究に適用したヴァイツマンと、ヴァイツマン以来の伝統的写本挿絵研究をまったく新しいものに書き換えた、ラウデンの手法を紹介した。第三に、こうした先行研究を踏まえた上で、そもそもなぜ、旧約聖書の中で、最初の八書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、ルツ記)を一巻に収めたものが、「オクタテウク」という特別のジャンルを形成したのか、という疑問について取り上げた。本発表では特に、ルツ記最後の挿絵に注目し、『ビブル・モラリゼ』写本との比較を通して、八大書挿絵の特異点を浮かび上がらせた。旧約八大書を締めくくる、ルツ記最後の挿絵において、ルツとボアズの二人は、そこからさらに伸びていく樹木、「エッサイの木」の図像を象徴するものであるように思われる。この木は旧約の王たちを経て高く育ち、やがて新約のキリストをその先頭に頂くことになるだろう。旧約八大書はルツ記で終わっているが、その最後には、(描かれない)エッサイの木が確かに根付き、芽を吹く。挿絵は、八大書が王たちの書(列王記)へと続く豊かな土壌となったこと、そこにまかれた種が芽吹いたことを、見る者に伝えているように思われる。


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