ナジアンゾスのグレゴリオスはルーシでいかに受容されたか

三浦清美


 1.本報告の目的
 キリスト教が受容されて以来、多くのキリスト教文献が翻訳というかたちでルーシに到来した。なかには、文筆家の編集上の意図によって、もはや単純に翻訳とは言えないほど原典が改変されている場合がある。こうした傾向は、ルーシの正教会による中世ロシア民衆の異教的風習にたいする糾弾文書、たとえば、『その注釈に見出されるグレゴリオス講話。太古の民衆たちが異教徒であり、偶像に跪拝し、それらに捧げものをおこない、いまもそれをおこなっていること』に顕著に見出される(以下、『その注釈に見出される説教』と略記)。この作品は、報告者の考えでは、12世紀後半に創作された。
 従来、『その注釈における説教』にグレゴリオスの原典テクストがほとんど反映されていないと考えられてきたが、より綿密に両者を比較すると別の側面が見える。本報告は、この作品にどの程度ギリシア語原典が反映されたか、どんな意識でビザンツ教会の教父の名前が冠されたのかを解明する。

 2.ギリシア語原典とルーシ版とのあいだの共通点と相違点
 『その注釈における説教』の原典となったのは、380年もしくは381年1月6日、すなわち、主顕節の祝日、グレゴリオスによって行われた説教『聖なる光のなかに』である。この説教は、「宗教的熱狂‐酩酊」、「神々の母」、「死んで蘇る神」の排斥という点で、『その注釈に見出される説教』に確実に影響をあたえた。
 『その注釈に見出される説教』は、次のようなフレーズではじまる。「汚らしい呪われた異教徒ギリシア人によって行われる、この呪われた汚らしい勤めをそなたたちは見るだろうか。」この冒頭のフレーズは、グレゴリオス同様に、テクストが異教的習俗の論難をテーマにすることを宣言する。
 「連中は鬼に憑かれたように悪魔の母アフロディテーに、コルナ(コルナはアンチ・キリストの母である)に、アルテミスに、忌まわしいディオミエサに生贄を捧げる。男女(おとこおんな=アンドロギュノス)を崇拝することをやめよう。テーバイ人は男女を神のごとく崇拝して狂ったように酩酊する。」
 テクストは、異教徒たちが悪魔の母に供犠をしながら、乱痴気騒ぎをすると言って論難している。コルナはアンチキリストの母と注釈がつけられているが、おそらくは原典のコリュバンテスに由来するものだ。コリュバンテスは、神々の母の崇拝と直接の関係をもち、宗教的な熱狂と酩酊を伴う。ディオミエサという女神は謎に満ちている。中世ロシアの作者たちは、女神のこの名前を、ギリシア神話の「死んで蘇る神」ディオニュソスから導いた。この箇所は中世ロシアの作者たちがかなり正確なギリシア神話の知識をもっていることを証立てる。 
 面白いのは、神「男女 мужьженъ」だ。これはギリシア語の "androgynos" のスラヴ語への直訳だ。これに続くフレーズは、テーバイ人がこの「男女」神を崇拝していたという原典の正確な情報を伝える。しかしながら、作者たちはグレゴリオスの真意がもうわからなくなっていて、ギリシア語の単語を機械的に翻訳していたに違いない。

  3.結論
『その注釈に見出される説教』と『聖なる光のなかに』とを子細に検討してみると、多くの共通点が見出されることがわかる。
 第一に、『その注釈に見出される説教』は、神学者グレゴリオスの「自己浄化による救済」という精神を継承している。中世ロシアの説教もグレゴリオス同様に、汎神論的、多神教的信仰を、自己を清めることで乗り越えようとしたのだ。彼らは、自分たちがかつてのグレゴリオスとまったく同じことをしていることを確信し、誇りをもって何らの疑念もなく、自らの作品にグレゴリオスの名前を冠した。
 第二に、グレゴリオスも中世ロシアの作者たちも、「列挙」という雄弁術の方法を意図的に選びとって、自己浄化という自らの思想を実現しようとした。これは、聴衆も読者も書き手たちもできるだけ少なく異教に関与しつつ、異教糾弾をするために戦略的に選びとられた方法だった。この方法によって、中世ロシア民衆の宗教的習俗のまたとない価値をもつ記述が生まれた。


(当研究所のブログは こちらです。)